化学物質の影響


脳の発達と化学物質-子どもの脳が危ない

黒田洋一郎さん (東京都神経科学総合研究所)
記念講演会より




 いま、子どもたちのADHD(多動症)、LD(学習障害)、アスペルガー症候群、高機能自閉症などの発達障害が問題になっています。 そのため、発達障害者支援法が2004 年にできました。 脳の発達障害は、いわゆる「キレる」「引きこもる」子どもの増加などとの関連も示唆されています。 また、この法律の対象外ですが、有機リン農薬等による化学物質過敏症の子どもも増えています。  これらの障害はともに、子どもの発達に必要な遺伝子の働きが阻害され、その主要原因として、各種の化学物質があげられています。

  
脳神経の基礎と子どもの発達への影響(上)
    
■科学的データは常に後になる

 化学物質が子どもにどういう影響があるのかということは、わかっている部分に比べて、わかっていない部分の方が多いのです。
 研究者は、「よくわからないこと」や「データがないこと」については、極端に言えば話してはいけないという暗黙の了解があります。
 しかし、あぶない可能性があるということは、市民のみなさんの耳に入れておいたほうがいいと私は思います。

 今までは「わからないから。科学的に証明されていないから安全」という議論がまかり通ってきました。 レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書いて、農薬があぶないと言った1950年代には、農薬の毒性についてはあまりよくわかっていませんでした。 彼女は生態学者で、直感的に鳥が鳴かないということが起こっているのは農薬のせいではないかと考えたのです。

 化学工業界からは、頭がおかしいという評価を受けました。

 しかし、それから50年経った今は、農薬は野生生物だけではなく、人間にも影響があるということが明らかになってきています。
 それと、科学的データというのは、常に後になるという構造を知っておいてほしい。
専門家といっても、自分自身の研究しか知らないし、データがなければそんなことはありえないということが、まかり通っているのです。

 環境中に出現する、残留する、あるいは人体に入る化学物質は、薬以外は規制がひじょうに甘いということがあります。 農薬類も甘いし、一般の化学物質はもっと甘いのです。
 現在の知識や規制が不十分なので、今起こっていること、今後起こりうることの安全性が保証できていないのです。
 後で「実は・・」というデータが出てくる。 日本では、環境ホルモンはもう終わったと言われていますが、国際的にはこれからデータが出てくると思います。
 このように、はっきりわかっていない時には、どうすればいいのでしょうか。
 それは予防原則で対処するより仕方がない。
 そのための化学物質情報が迅速に市民に広まることが重要だと思います。
 水俣病の時でさえ、大学のえらい先生方が別の説を出して、マスコミもそれに流されて、どれが正しいかははっきり言われていませんでした。
 結局、決着がつくまでに10年、20年かかっているのです。

 脳に関しても、ひじょうに複雑で、解明するまでには学問が進歩していません。
 脳の中がよくわかって、その結果、毒であるものがわかるというのが一般的と思われるかもしれませんが、実際には、脳にとって毒である物を研究して、その結果脳の中はこうなっていたとわかるという、逆になっていることがほとんどです。
 脳への毒性化学物質の研究をしている人は、国内、国外問わずひじょうに少ないということもあります。
  
■軽度発達障害が増えている

 今、軽度発達障害が多くて問題となっています。
 軽度発達障害とは、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、高機能自閉症(アスペルガー症候群)を指します。
 小中学校で、授業が成り立たないところが出てきて、問題になっています。
 文科省の2002年のアンケート調査では、全学童の6.3%(17人に1人)が軽度発達障害ではないかという結果が出ています。 これはひじょうに多い割合で、その上増えてきています。
 アメリカでは、ADHDの子どもが1970年代から増えていて、ADHDだけで6〜10%いると言われています。

 原因は、脳の発達の途中で、ある神経回路がうまくつながらず、結果、特定の行動がうまくできないのだと考えられています。
 軽度発達障害は個性と連続性があります。
 本来は学校が得意ではないという個性であっても、現在の厳しい社会ではトラブルを起こす、その程度があるレベル以上の人を障害とよんでいます。 脳の発達障害なのに、本人にやる気がない、しつけが悪いなどと言われることが多かったのです。

 発達の障害は本来多様です。
 受精卵から人体ができあがるまで各段階、各部分、各種の発達障害があります。 しかし、生まれる数は一般に少ない。 それは、胎児期以前の重度の障害は流産し、さらに着床前では流産とも気がつかず、不妊とみなされるということがあります。
 不妊の増加、少子化の一因となっていると考えられます。
 ダイオキシンによって、卵子の発達異常が起きるということもわかっています。
  
■原因と障害の顕在化に時間差

 発達段階と障害の大きさとともに、原因(汚染)と障害の顕在化の時間差(潜伏期の存在)の問題も大きいです。
 化学物質の影響は、精子や卵子の段階での不妊、着床しない、流産、死産など、ひじょうに早い時期での重大な障害においては表になかなか出てきません。
 化学物質の発達への影響は、重いものは社会的に見えなくなっているといえます。
 ADHDや学習障害がわかるのは学校に入る6歳になってからですが、その原因は胎児期などはるか前に遡ります。 その間には潜伏期が入るので、因果関係の証明が難しいのです。

 最近増加している行動異常は、ひじょうに幅が広いです
 ADHD、LD、高機能自閉症の他に、学力の低下、切れる、引きこもりなどと重なっていると考えられます。 脳の神経回路の微妙な働きで全体が決まってくる、ということを知る私にはそう思えるのです。
 切れるというのはADHDと、引きこもりは高機能自閉症と、脳のしくみから考えると近いように見えます。

 その他に気になっていることに、晩発性の問題があります。
 顕在化するのは、対人・社会行動障害は思春期からですし、子育て障害(虐待)は子育て期です。 子育ては一種の本能行動です。
 子どもがかわいい、子どもの世話をするというのは、哺乳動物である人間の脳に刷り込まれているのです。 しかしそのままで働くのではなく、性ホルモンによって神経回路をつくる事によってです。 したがって、環境ホルモンなどによって性ホルモンに異常が起これば、子育て障害となって表れるだろうと思います。

 もっと気にるのは、若年性痴ほうの増加です。
 アルツハイマー病の研究の中で、1980年頃から50歳代で発症した患者を全国から探しましたが、とても少なかったのです。 ところが、今、40歳代からの発症者も含めてかなり増えています。 神経細胞はほとんど生まれ変わりません。 胎児期、乳児期に脳に障害が起きて遺伝子の発現がおかしくなると、神経細胞が長生きする性質にも違いが出てくると考えられます。
  
■環境化学物質のヒトへの影響

 脳機能発達への環境化学物質の影響について、それは動物実験段階での研究で人間には当てはまらないという指摘がよくされますが、ヒトへの影響についても研究結果が出ています。
 PCBについては、台湾の油症事件の研究で知能(IQ)低下、一部に多動、ミシガン湖汚染魚では知能低下など、スロバキアPCB製造工場汚染(これは最近のデータ)では周辺の子ども達に多動、学習障害が報告されています。 ビスフェノールAについては、ヒトへの曝露データではっきりしたものがありませんが、ラットについては探索行動、学習機能の性差の消失、学習障害、グルーミング増加(オス8週齢のみ)、子育て行動に異常がみらました。
 鉛のヒトへの学習障害、過剰興奮、攻撃性の影響、有機水銀と胎児性水俣病は明らかです。
  
■脳の発達障害の原因がわかった例

 脳の発達障害の原因がはっきりとわかった有名な例は、アルプスの谷の発達障害として有名な重い精神遅滞を伴うクレチン症です。 原因不明だった時には遺伝説がささやかれました。   1950年代になって、このクレチン症の原因は、環境中のヨード゙が欠乏し、ヨードを成分とする甲状腺ホルモンが母体、胎児に不足し、子どもの脳の機能発達に障害が起こったためと判りました。 遺伝子が正常でも、環境中の化学物質の異常により発達障害が起こるという例です。
 クレチン症は甲状腺ホルモンの異常とわかり、新生児検診でホルモン量を検査し、早期発見が可能となり、ホルモン剤で治療、障害は起きなくなりました。環境因子が原因である場合、発達障害でも予防や治療は可能なのです。
 
■科学的証明が出るのを待たず予防原則で

 病気や障害の原因研究が重要なのは、原因が判れば予防、治療が可能になるためです。
 疫学による危険因子でも予防は可能ですし、原因研究の手掛りとなります。
 水俣病では、原因は有機水銀ということがわかっていなくても、水俣湾の魚介類が危険因子ということは疫学調査でわかっていたのです。
 魚介類摂取を避ければ、水俣病は予防できました。
 タバコの中のどの物質が肺がんの原因物質だということがはっきりわからなくても、危険因子であることはわかったから予防はできます。
 特定の化学物質が科学的に危険性が証明されていなくては、避ける理由はないという主張がありますが、大まかにあぶないということがわかった物は避けた方がいい。
 遺伝子やホルモンの働きに影響するものはやめておいたほうがいいという、大枠の発想で対策をするべきだと思います。
 なぜかというと、複雑な原因を持つ病気(多因子疾患)の原因研究は困難で、一般に研究が少なく、いまだに不明のものが多いからです。 他の因子と複雑にからみあっているし、化学物質だけでもさまざまなものを既に取り込んでいます。
 脳の発達障害の原因研究は最も困難なものの1つで、ようやく進歩し始めた段階です。
 はっきりした結論が出たら対処しようというのではなく、予防原則が重要です。
  
■脳は遺伝子発現によって発達

 脳は数多くの遺伝子の順序良い働き(遺伝子発現)によって発達、大きくなります。1,000億の神経細胞が樹上突起、軸索を出し、100兆個のシナプスで結合し無数の神経回路を形成します。 脳の働きには神経回路の発達が重要なのです。
 遺伝子は設計図であって、実際に働く必要があります。 遺伝子の働き(遺伝子発現)はホルモンなど数多くの化学物質(転写調節因子)で調節(オン・オフ)されています。 ここがおかしくなると、遺伝子を読む最初の段階がおかしくなり、神経回路がうまくできなくなって発達障害などが起きると考えられます。

 環境ホルモンが低用量で働く、逆U字曲線を示すというのは嘘ではないかと言われてました。しかし、ホルモンが働く部位(受容体)というのは、一つの細胞の中に1か所あるいは数か所しかないのです。 そこに必要なホルモンはほんの微量でいい。 だから、偽ホルモン(環境ホルモン)の量もほんの微量でいいのです。
 一方、通常の毒性作用では、一つの細胞に作用部位が数千とたくさんある。 したがって、たくさんあるうちのどれだけが妨げられるかということで、用量に比例した用量作用曲線を示すということです。
 環境ホルモンは遺伝子発現を攪乱するので、広範囲の悪影響をもちます。 生殖系、脳神経系のほかに、免疫系も影響を受けます。 遺伝子発現は免疫系をつくりあげる時にも、免疫系のシステムが一生機能していくのにも重要です。
 花粉症が増えていますが、人類は長い間杉の花粉に曝露されてきたのだから、杉の花粉でこんなにアレルギーが増えるわけがありません。 免疫系の仕組みがおかしくなっているからではないかと考えられます。
  
■脳のしくみと発達

 神経細胞がシナプスを介して多数つながっている「神経回路」が、認知、記憶、行動の基本です。 脳の機能発達は、はじめに遺伝子の設計図で決められている部分(先天的。例えば母性本能など)と、生まれてから育っていく時の外からの刺激、経験(後天的)による神経回路の発達によりますが、ことにヒトの場合、後者の役割はひじょうに大きいです。
 脳を輪切りにすると、表面には神経細胞がたくさん並んでいます。 これを全部数えると1,000億あって、それぞれ樹上突起、軸索を出して100兆個のシナプスで結合し神経回路を形成しています。この神経回路があらゆる行動のもとです。
 神経細胞から情報は電気信号の形で出てくるのですが、このつながり(シナプス)のところでは、化学物質(神経伝達物質)で情報を受け渡しているのです(右図)。
  
■化学物質が脳の情報を伝達
 脳の働きに対して化学物質が悪影響があるというのは、脳の働きの基本的な部分で、頭を使う時に何十種類という化学物質(正常な脳の働きに必要な物質で、グルタミン酸、ドーパミン、ギャバなど)が電気の情報を一度化学物質にかえて情報のやりとりをしているのです。 ですから、もしグルタミン酸と似た人工の化学物質(正常ではない物質)が脳の中に入ってくると情報伝達がおかしくなってしまいます。
 遺伝子組み換え作物で使っている除草剤は、神経伝達物質であるグルタミン酸、グリシンの有機リン化合物です(右図)。
 このように、遺伝子組み換え作物は、そのものの問題もありますが、そこで使われる除草剤もひじょうに問題があります。 なぜアメリカで使われているかというと、その除草剤に耐性のある遺伝子組み換え作物だけが生き残って、非常に便利だからです。 遺伝子組み換え作物を開発したのは、(除草剤を作っている)農薬メーカーです。
 脳の能力は無限で、原理的にはほとんど無限大に覚えることができます。 しかし、それをつくり上げる遺伝子の発現や、脳を働かせている時に使っているのはすべて化学物質なので、能力的には無限大であるけれども化学物質には弱い面があります。 特に、今まで脳の中に入ったことのない人工の化学物質には大変弱いのです。
 このように、脳の本質的な所には化学物質が働いている、だから脳の中に似たような人工の化学物質が入ると悪いことが起こるということは、まだ一般的に知られていません。
  
■記憶のしくみ

 一つの神経回路は、だいたい2,000〜3,000の細胞が繋がりあっています。
 これは、よくネットワークとよばれます。
 ネットワーク上では、すべての神経細胞が同時に興奮します。
 そして、1回興奮すると、この繋がりが記憶されて、次に同じものが来ると同じ興奮が起きて思い出すことができるのです。 これが記憶の仕組みです。

 あらゆる情報(経験)は、脳内の神経回路として記憶されます。 例えば、神経回路の興奮を抑えるような経験をたくさん積んでいると、興奮を抑える回路ができていてむやみに動いてはいけないという回路ができています。 ところが多動性障害の場合は、そういう回路ができていないのです。 足が不自由で歩けないというのと同じで、本人が怠けているわけではなのです。 しかし、脳の中のこういう障害の場合は、外から見えません。 ADHDやLDが学校に行って初めて分かるように、むやみに動いてはいけないという状況に置いてみて、初めて分かるのです。外から見えにくいので、本人にやる気がない、怠けている、親のしつけが悪いと見られてしまうことが多いのは困ったことです。

 脳の働きの元は神経回路の活動です。
 例えば、人が顔と名前を結びつけて記憶する仕組みは、顔を見ると顔の神経回路が活動し、 名前を聴くと名前の神経回路が活動します。 同時に両方覚えるのは、顔神経回路と名前神経回路がつながって、潜在的に記憶として保持されるからです。 そして、あとで顔を見ると名前を思い出すのは、顔神経回路が活性化され、つながった名前神経回路も活性化されるからです。

 違った情報、違った能力は、脳の違った場所にある神経回路が担当しています。 これを脳の機能局在といいます。言葉の神経回路、社会性の神経回路はより複雑ですが、人の顔と名前の記憶と同じ仕組みで、経験による記憶・学習によってできるのです。
  
■ヒトの行動は神経回路の形成で決まる



 ヒトの行動は発達期の遺伝子の働き(発現)による神経回路の形成で決まる、ということを図で示します(上図)。
 遺伝子の発現・神経回路の形成には、神経活動で調節される部分と、ホルモンで調節される部分があります。 ホルモンで調節される遺伝子発現は、主に先天的(本能)行動の障害に関係します。 一方、神経活動で調節される遺伝子発現は、主に後天的行動(記憶、社会性)の障害に関係します。
 ヒトの脳では、記憶、言語など神経活動依存性の調節による遺伝子発現による経験でできる神経回路にもとづく後天的な行動が重要です。

 設計図(遺伝子)に描かれている脳の形は、みんな大体同じです。 しかし、様々な環境からの刺激による活動で遺伝子の働きが調節されて、さまざまな機能をもつ個人ごとに違う脳ができあがります。

 異なった神経回路の形成には異なった遺伝子発現が必要で、異なった組み合わせの化学物質で調節されています。 異なった人工化学物質で、様々な遺伝子発現が攪乱される可能性や、異なった神経回路の形成異常により、様々な行動異常が起こる可能性、色々なパターンの行動異常が起こる可能性があります。 しかし、その対応関係はよくわかっていません。 生殖系、免疫系でも同じ原理で、さまざまな異常がおこることが考えられます。
  
■エピジェネティックがトピックに

 今、トピックとなっているのは多世代への影響です。
 エピジェネティック(エピ:後、ジェネティック:遺伝子。遺伝子配列の変化を伴わない遺伝子の発現調節)といって、遺伝子そのものの変化よりも、化学物質など環境からの影響で遺伝子の働きがおかしくなることによります。
 これは、脳だけではなく、がんや生活習慣病のように環境因子が発病の引き金をひく病気の研究での最近のトピックとなっています。
 分子レベルの仕組みとしては、DNAのメチル化などがあります。

 遺伝子は正常でも、遺伝子の働き:発現がかく乱されると障害が起きるというのは、環境ホルモン問題のポイントです。
 こういう仕組みがある限り、今は分かっていなくても生殖系、脳神経系、免疫系などにさまざまな困ったことが起こる可能性があります。
 今までは、病気になると遺伝子が悪いからだと言われてきました。
 遺伝子発現が環境因子でかく乱されると色々なことが起きるということを考えると、環境ホルモン問題は『奪われし未来』で提起されたよりもひじょうに幅広い問題となると考えられます。
  
■市民の健全な知恵が社会を変える

 今後、問題はより複雑になるかもしれません。
 しかし、基本的には、市民がこういうものは危なそうだ、あるいは学者の一部があぶなくないと言ってもやはりあぶないのではないかという、予防原則のような
"健全な常識"が世の中を変えていくのではないかと思います。
 イギリスでは"コモンセンス"と言っていますが、
"人間の知恵"のようなものです。
 はじめは個人のレベルで判断してやめる、それが地域になって、社会になっていくという形でしか問題は解決できないのではないかと思ます。
 よくみなさんから、「研究者があぶないということをきちんと証明して規制しろ」と言われますが、絶対にあぶないということを証明するのはひじょうに大変です。
 問題の解決には、みんなで健全な知恵を働かせていただいて、こういう種類の化学物質はいらない、使わないという行動を通して変えていくより仕方がないと思います。
  
脳神経の基礎と子どもの発達への影響(下)
  
 環境ホルモンなどの化学物質は、胎児や乳児の脳内で遺伝子の働きを攪乱するので、神経(細胞)回路の形成・発達が傷害され行動が異常になるということが考えられます。
 私たちのCREST※研究では、この考え方をPCBなどを使って、以下の点について実験で確かめました。(※戦略的創造研究推進事業)
 1.遺伝子の働き(遺伝子発現)の攪乱が起こるか
 2.神経(細胞)回路形成・発達が障害されるか
 3.汚染された母親から生まれた子ラット、子ザルの行動が異常になるか
  
 その結果、どんな化学物質があぶないのかということが、どういう実験で証明されたかということをこれから簡単にお話したいと思いす。
  
1.遺伝子の働き(遺伝子発現)の攪乱が起こるか
 ○神経回路形成に重要な遺伝子発現への影響を調べる実験(遺伝子レベル)
 (1)甲状腺ホルモンが調節している遺伝子の発現量を簡便、正確に調べる
 結果:低濃度のPCB、水酸化PCBによる遺伝子の発現の攪乱が起こった。
 (2)神経活動が調節している遺伝子の発現量を調べた
 結果:DDT、ペルメトリンによる攪乱が起こった。
 (3)数百、数千の遺伝子の発現を一度に解析するDNAマイクロアレイによる研究
 結果;水酸化PCBなどでシナプス関連遺伝子の発現に変化が起こった。
 どんな化学物質が毒なのかということについて、今までは使われていなかったこういう技術が最近開発されたので、調べることが可能になってきています。
  
■毒性のメカニズムによる分類
どんな化学物質が危ないのかについて、毒性のメカニズムによって分類すると、三つに分類されます。
  
A にせホルモン型:PCB、水酸化PCBなどの環境ホルモン(PBDE-難燃剤も)
 脳の中で正常に働いているホルモンと似た化学物質が入ってくると脳の働きが撹乱される。
 ホルモン依存性遺伝子発現の攪乱と知能(IQ)低下、多動症がこの型の化学物質によって影響を受けると考えられます。脳の発達に重要な甲状腺ホルモンとPCB、水酸化PCBの化学構造はよく似ています。低濃度の水酸化PCBは、甲状腺ホルモンによる遺伝子の働きの活性化を抑制するという実験結果が出ています。
  
B チャネル影響型:DDT、ペルメトリンなどの殺虫剤、DES
 神経細胞が興奮する時には、イオン・チャネルの働きにより細胞の中のナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度の差を使って電気情報を作り出し、一つの神経細胞の中を伝わっています。これらの電気活動によるカルシウムイオンの流入により、脳の中のシナプスを介した所は化学物質(神経伝達物質)で情報が伝わる。つまり、脳の情報伝達は電気情報と化学物質情報を使っているが、これらの物質はチャネルの働きに影響して、それに伴う遺伝子の働きの活性化を撹乱するのです。すなわち、神経活動依存性遺伝子発現の攪乱により、記憶など後天的獲得行動の異常に関係します。
 脳の中の興奮によって活性化される遺伝子が、毒物(ペルメトリン、DDT)によって発現量が下がっていくということが実験によってわかっています。さらに、DDT、ぺルメトリン、DESそれぞれ単独よりも、二つ、さらに三つ組み合わせたほうがより強くはたらくという結果も出ています。
 複合汚染についてこれまで言われてきましたが、たしかに相加効果があるというデータです。一つ一つは安全量であっても、現在のように多種類の化学物質汚染が重なると影響が出るということです。
  
C にせ神経伝達物質型:グルホシネート、グリホサートなどの除草剤
 これらの物質は、化学物質情報の伝達をになう神経伝達物質の働きをかく乱するタイプです。神経伝達物質としてはグルタミン酸、ギャバ、グリシン、セロトニン、ドパミンなど多くの化学物質があり、これらの物質は正常な脳の働きをおかしくしてしまいます。
 グルホシネートが雌子ラットに易興奮性、殺戮にいたる異常な攻撃性を生じる動物実験結果が報告されています(藤井ら)。グルホシネート、グリホサートは、遺伝子組換作物用除草剤としても大量につかわれていますが、神経伝達物質として脳で使われているアミノ酸の有機リン化合物です。
 妊娠ラットに体重1kg当たり3〜5mgのグルホシネート・アンモニウムを皮下注射すると、生まれた仔ラットは尾に噛み付くなどの易興奮性を示したとの報告があります。これらの仔ラットでは、甲状腺重量の減少と血中ホルモンのレベル上昇が認められ、グルホシネートが内分泌系に影響を与えることをうかがわせます。
 なお、雌の仔ラットは正常では噛み合わないが、グルホシネート雌仔ラットは、お互いに噛み合い、片方を殺すまでやめないケースがあったと報告されています
  
2.神経(細胞)回路形成・発達が障害されるか
 ○脳の神経細胞の発達、神経回路形成への影響を調べる実験(T)(細胞レベル)
 シャーレの中で培養したラット大脳皮質の神経細胞を用いて、シナプス形成と神経活動の発現を定量的に画像解析する実験系をつくることに成功した(世界で初めて)。
結果:シナプス形成と神経活動の発現には、甲状腺ホルモンが重要であることが分かった。農薬アミトロールによるかく乱が証明された。
 ○実験(U)シナプスや神経細胞の枝(樹状突起)の発達への影響を調べる。
小脳プルキンエ細胞の樹状突起発達実験系、シナプス形成実験系をつくった。
結果;シナプスや樹状突起の発達には、甲状腺ホルモンが必須であること。水酸化PCBが発達を攪乱すること。PCBは異性体で毒性が異なること。甲状腺ホルモン依存性樹状突起伸展を阻害することなどが証明された。
  
【シナプス形成阻害は重要】
 神経回路はシナプス形成でつくられるので、どの神経回路のシナプスに異常がおこるかによって、対応する様々な行動に異常が起こる可能性があります。
 症状として異なった発達障害や脳神経系の病気も、1つの原因物質が異なった時期、異なったシナプス形成(神経回路形成)に異常を起こしたためかもしれないと言えます。
  
3.汚染された母親から生まれた子ラット、子ザルの行動が異常になるか
○化学物質投与次世代サルを用いた行動への影響を調べる実験
(1)4段指迷路学習実験:汎用型知能検査
 リンゴ片を得るための指迷路試実験
(2)出合わせ行動実験:相互認知、社会性を評価
(3)アイ・コンタクト行動実験:サルの特性(内向性、警戒心)の評価
 サルがヒトを見るとき目を合わせる性質を利用して、視覚機能やサルの性格特性(警戒心、内向性)を評価する。
(4)母子行動観察実験
   〔東大大学院 吉川泰弘グループ〕:サルの母子相互行動の評価
 観察用ケージにサルの母子を入れ、子どもの成長にともなってお互いに何をするかという母子相互行動の変化を観察する。
(5)総合影響評価
 指迷路学習行動実験で、ダイオキシンは有意な影響はありませんでしたが、母ザルの血中PCB濃度が高いと、子ザルの学習試験成績は落ちました。アイ・コンタクト実験ではPCB、ダイオキシンとも有意な影響は観察されませんでした。
 出会わせ実験では、ダイオキシンは社会性に影響はありましたが、発達にともない変化する(改善される)ことがわかりました。脳の可塑性に関わる結果で、脳には元に戻る力があるということです。

 油症事件(台湾)での子どものIQ低下が報告されていますが、原因はPCBだと考えられます。PCB、水酸化PCBは、記憶など知能にかかわる脳での遺伝子発現や神経回路形成を、低濃度(0.1nM以下)で阻害するからです。 母ザル血中の総PCB濃度が高いと(0.5nM以上)、子ザルの学習実験の成績が落ちるという実験結果が出ています。

 日本人の一般男女の総PCB血中濃度は平均650pg/g(単純換算濃度:1.6nM)で、現在でも最小毒性濃度より高いことが分かっています。 値は個人によってばらつきがあるので、値が高い人、あるいは感受性が高い人は注意が必要です。
 リスク評価において、従来の毒性学は致死率をターゲットにしてきたので、今問題になっている発達障害、うつ病、アレルギーなど死なない毒性に対するリスク評価がひじょうに甘くなっているのです。
■発達障害の子どもたちをどうするか?早期発見・早期治療・支援・予防
  
 1. 早期発見:可能になり始めた。
  自閉症児は1−2歳で頭が少し大きい。広範性発達障害児は海馬の発達の形が少し違う
 2. 治療薬:覚せい剤作用(リタリンなど)のないADHD対症治療薬が開発されてきている。
 3. 支援教育:
     発達障害者支援法〔2005年4月施行〕特別支援教育が今年4月から始まっている。
 4. 予防:化学物質検診(PCBなど)を推進〔千葉大学医学部 森 千里先生〕
PCB、水銀、鉛、殺虫剤、除草剤など毒性化学物質が環境から妊婦、子どもに入るのを防ぐ。体内から排除(解毒)する。
  
■毒性学の最近のトピック:                               
DNAマイクロアレイ
(注)を用いたトキシコジェノミックス(毒性遺伝情報学)
  
多くの遺伝子の発現の変化を一度にみられる。
発達障害だけでなく、ガンなどあらゆる病気や障害は必ず遺伝子の発現の変化を伴っている。
どの遺伝子の変化が病気や障害と関係しているかがわかれば、安全性を調べる強力な実験手段となる。
  
(注) DNAチップとも呼ばれている。ガラスなどの基板上にDNA断片を高密度に実装し固定したもの。
  
■基礎生物学の最近のトピック:エピジェネティックス
  
 エピジェネティックス(epigenetics)とは、遺伝子への後天的な調節・修飾により遺伝子発現が制御されることを研究する医学・生物学分野のことです。
 正常な発達には、長期にその細胞の分化に働く遺伝子群をオンにし、初めのうち(胎児期)細胞の数を増やすために使っていた分裂・増殖に働く遺伝子をオフにする必要があり、オフはDNAのメチル化などによって行われています。 例えば、脳腫瘍の場合、脳の細胞は出来上がったら、分裂・増殖の遺伝子をオフにしなければならないのに、オンになったために異常に増殖を始める、それがガンです。
 ホルモンなど短期に遺伝子発現を調節している仕組み(それが特に重要なのは神経系、免疫系)の研究も含めて、エピジェネティックス研究が盛んになってきました。 遺伝子の塩基配列変化(突然変異)よりも発現変化の方が生物の生殖、発達分化、生存に重要なので、脳を含めてエピジェネティックス研究が盛んになってきています。
  
■環境ホルモンが次世代、次々世代に影響を及ぼす可能性
  
 性ホルモン系を攪乱する環境ホルモンとして知られる抗カビ剤・ビンクロゾリンや殺虫剤・メトキシクロルを投与された母ラットから生まれた子だけでなく、孫、曾孫、曾々孫まで4代にもわたって、精子をつくる能力が低下するなど、オスの生殖機能が阻害されているという報告がされました(Science 2005年)。
 ビンクロゾリンを投与された妊娠母ラットから生まれた子ラット(F1)は、その次の世代(F2)さらにはF4に至るまで精子形成やがん、肝機能障害などの疾病が対照群に比べて有意に発症率が高かったというものです。
 ビンクロゾリンはDNAのメチル化に異常を起こし、それが世代を越えて引き継がれていることが原因と警告しています。
  
■子供の情動が遺伝子発現で変わる可能性
  
 母ネズミが子ネズミの世話をよくすると、ストレスに強い子ネズミが育つという、最近の研究があります。
 この子ネズミでは、脳の情動や記憶に関係している海馬という領域のニューロンや神経回路の発達がよく、糖質コルチコイドホルモンの受容体が多く発現していました。
 さらに、この効果は一生変わらないものではなく、ケアがよい条件で育ち、ストレスに強い子ネズミでも、成長後にある化学物質を投与すると、ストレスに弱い対応を示すようになってしまうと報告されています。
 最新の論文では、この逆の効果、即ちストレスに弱い子ネズミに別の化学物質を投与すると、ストレスに強い行動をとるようになるという結果が示されています。(長井、久保田等 実験医学vol.24, 2006参照)
 ヒトにあてはめられるかは分かりませんが、母親がせっかくケアして育てても、人工的な化学物質によっても、性格が変わってしまう可能性、また逆の可能性もあることを示唆しています。
 脳、神経細胞の特徴の一つに、可塑性(柔軟性)があります。 いったん正常に発達しなくても、正常になる可能性は残されているので軽度発達障害の子どもも回復する可能性があります。
  
■人工化学物質に対して人体は一般には無防備

 天然にも毒物はありますので、進化の過程で化学毒性物質に対する防御システムができたヒトを含む生物の系統だけが、生き残っているのです(肝臓の解毒システムや脳を守る血液脳関門)。何が危ないか、天然の毒物の知識はどの民族でも豊富です。それに対して、ここ50年で新しく生じた人工の毒物に対しては、人体は一般に防御できないのです。そのため、新しい病気や障害が増えています。
 胎児、乳児や老人など、防御が弱い者にまず影響が出ます。おとなには影響が出なかったり、症状は後から出ることが多いので因果関係がすぐにははっきりしないなどのために、問題視されにくいのです。
  
■毒性未知の化学物質が多い

 現在は、何が危ないかわからないまま生産、使用してしまっています。これからも多くの化学物質に「こんな毒性があった」という情報が出てくるはずです。
 EUのREACHの考え方のように、様々な毒性実験で安全性を確立してから生産、販売すべきなのです。医薬品では、臨床試験をする前に多くの毒性試験が義務付けられています。それでも臨床試験では副作用が多発します。また、発売後も問題になることが多くて(サリドマイド、キノホルム、タミフル)、タミフルのように少数例でも因果関係が疑われて、販売・使用が規制される例は多いのです。
 ところが、農薬、工業化学物質では規制はザル状態です。医薬品と異なり、曝露は広範で量が測定しにくく疫学は困難で検出力が低い。したがって、因果関係が証明しにくいのです。
  
■予防原則が必要な理由

 疫学調査は実際に生活している人間の集団を対象にしているので、動物実験などに比べて結果にばらつきが大きく、正反対の結論が出ることが珍しくありません。検出力を高めるためには膨大な時間やお金、人手がかかり、現実にはできにくいと言えます。
 動物実験で毒性が確認された化学物質について、ヒトに対する影響はわからないというコメントがよくありますが、ヒトへの影響を調べるのには被害者が充分な数だけ出た後、さらに時間や膨大な費用のかかる疫学調査しかありません。その間に被害はますます増えるのです。
 医薬品の場合は、動物実験で毒性が確認されれば開発をあきらめ、人への臨床試験は行いません。化学物質についても予防原則に則り、それと同じにするべきです。
  
■私たちにできること
  
1.体内に入れない。
・PCB、農薬などが多く含まれている食品をなるべくとらない(脂溶性は体内脂肪に蓄積)。 買わない(消費者の選択)。
・どんなものが危ないのかの情報を入手。
 地産地消など生産者とのつながりの中での食料の入手。
・殺虫剤(ことに室内での使用)、除草剤を使わない。
  
2.体内汚染状況を知る
 発達障害では妊娠が予想される方
 ・PCB:血液検査
 ・重金属:毛髪検査
  
3.体外に排出する
 ・PCB:高脂血症治療薬の応用
 ・重金属:キレート作用のある野菜繊維など
  
4.社会への働きかけ
 ・地域環境を良くする(農薬の空中散布をやめさせるなど)
 ・国の政策をかえさせる(安全性試験の義務化など)
 ・国際的なつながり
    (EUの予防原則による化学物質規制案REACH、安全確認の責任は企業に)
  
1人ではできないこのような活動には、化学物質の危険性を認識し、未来を守るために
安全性を追及する考えを持ち、伝え続けるような活動が大事だと思います。
 米国カリフォルニアに2003年に新設された自閉症など脳発達障害児のためのM.I.N.D.研究所が、親が寄付や行政の資金援助も得てつくっています。
日本でも、被害者が自分達でこういう形の組織をつくることをこれから考えてはどうでしょうか。
また、そうした組織への物心両面での応援こそが国民、行政、政治、経済の中で唯一不足していることだと思います。(終わり)