第1章
「気 づ く」

 本当に地球は熱くなっているのか?


 地球温暖化を一言で言うならば、人類が経済活動を行うことにより二酸化炭素(Co2)などの温室効果ガスが増大し、それが原因で地球が暑くなるということです。
 「そんなこと、いちいち言うまでもない」と起こられそうですが、実は地球温暖化が世界的に問題になり始めたのは、ごく最近のことなのです。
 ですから最初に、地球温暖化問題というものをもっと明確にしておきましょう。 ここでは大まかに次の三つの方向から、現実を見ていきましょう。

  第一に、今地球がどれくらい熱くなっているのか?
  第二に、その原因は二酸化炭素だと特定できるのか?
  第三に、その結果どういう現象が生まれ、今後どうなると予測できるのか?

 まず、現在の地球がどれ位熱くなっているかですが、皆さんはどのように感じていますか。
 個人的感覚では、体感温度は5度くらい暑くなったと感じます。 今から40年ほど前は夏でも30度を越えると「う〜暑い」という感じでした。 しかし記憶では窓を開け放しておくと涼やかな風が吹き込んできましたし、すだれを下ろしておくと、扇風機がなくとも案外気持ちが良かったです。 夜などもクーラーがなくとも、一晩中寝られないことはありませんでした。

 今はどうでしょう。 真夏の30度などは涼しいほうだと思ってしまいます。 今ではクーラーがないと眠れない日が多くあります。 朝も爽やかというには程遠く、むっとした熱気があたりに立ち込めています。
 いつでしたか、最高気温が35度を超えたと聞いて驚いたのもつかの間、今では40度を越える日さえ出てきました。 おそらく後数年たったら「かつて最高気温40度で驚いていたときがあった」と懐かしく思い出すようになるでしょう。

 北海道であれ、九州であれ今の気温に対し「異常だ」と言う声を耳にします。 雪の多い地域の北海道や新潟や北陸などは温暖化を歓迎していると思いきや、雪が年々減少することを憂慮している人が多いです。
 「この30年の間に体感温度はどう変化しましたか?」という問いに対しては、すべての人が「暑くなった」と答え、平均すると4・5度上がったと感じているというアンケートがあります。 質問の中で一番高かった人は10度と答えましたが、実際そこまでではなくとも、その人にとってはそれくらい変化した感覚があるのでしょう。

 まずは、この感覚というものの「いい加減さ」と、その裏に潜む「真実性」を知らなければなりません。 たとえ人の感覚として温度が4度上がったと感じても現実にはそうでないことを見据えなければならないのです。 私たちにとっての現実とは、この一見あやふやに見える「感覚」そのものだけということなのです。
 北極の氷が溶けて白熊が全滅するということは、悲劇には違いありませんが、それを体感している人はいません。 その意味で、私たちが今体感している地球温暖化とは何かを冷徹に見つめていきたいと思います。
 地球温暖化が数値の上ではどのように起こっているか、じっくり見てみましょう。


 図1は日本の平均気温の変化、図2は世界の平均気温の変化を表しています。 これを見ると、この100年間で日本は1.1度気温が上昇し、この30年間で0.5度近く上がっていることがわかります。 また1990年以降は平年差がどんどんプラスに転じてきてることが見て取れます。
 この数字を見て「なるほど」と納得されるか、「意外と変化していないのだな」と感じられるか、どちらでしょう。

 私は、思ったより統計上は変化していないことに注目します。 実際の変化が1.1度であり、体感温度の変化が4.5度であるとすれば、等比級数的にいえば、その差は約4倍であり、だとすると、もし現実に2度あがるとすると、体感温度は計算上8度上昇することになります。

 目を世界に転じてみましょう。 この100年間で地球の温度はどのように変化したかを見ると、約0.7度上がっていることがわかります。 0.7度というのは、感覚的にたいしたことのない温度であり、この地球温暖化問題を煙で包んでしまう数字ですが、この温度差は大変な影響を地球に与える可能性が強いのです。
 そもそも地球の温度の上下については、地軸の変化が原因とも、太陽黒点の移動周期が原因だとも言われています。
 かつて中世の時代に今より0.5〜1.0度ほど気温が低い低温期が存在していますし、1990年代に南極のボストーク基地において、何千メートルという氷の層が調べられ、ここ数十万年の中で数度にわたり地球に温暖な時期が存在していたことが確認されています。 しかしその中でも、現在の地球は最高気温を記録しているそうです。

 まずここで私たちが確認しておきたいことは、その温度差をどう捕らえるかはひとまずおいておいても、確実なことは、この地球が熱くなってきているという事実です。



 何が地球を熱くさせているのか?


 次に、その原因について考えて見ましょう。

「そりゃ、二酸化炭素が原因でしょう」と菅単位言われそうですが、もんの2,3年前まで、このことで大議論があったことは意外と知られていません。 本当は今でも、地球の温暖化問題が人為的な二酸化炭素の増加ということに懐疑的な学者が少なからず存在しています。 「地球温暖化は自然現象であり、二酸化炭素の増加とは関係がない」と言うのです。

 しかし2007年、アル・ゴア前米副大統領とともにノーベル平和賞を受賞したIPCC(気候変動に関する政府間ンパネル)の第四次報告書によって、地球温暖化は人間活動から排出される二酸化炭素などの温室ガス効果による「人為的なもの」であると、断定されたのです。
 仮に百歩譲って、現在の温暖化が「自然現象の一環であり、人為的なものではない」ということを信じ、今、温暖化をとめるための対策を何も取らなかったとすると、その後に起こりうる悲劇に対して、私たちは未来に生きる人達にどう責任を取ればいいのでしょう?
 もはや地球温暖化について人為的なものか自然的なものかという論争を繰り返している時間は私たちの残されてはいないのです。

 実際にこの地球温暖化という問題はいつごろから言われだしたか、見ていきたいと思います。
 過度の科学信仰によって人類の未来が薔薇色(ばらいろ)だと無邪気に信じていた私たちに対し、地球的危機の警鐘を鳴らしたのは、1972年ローマクラブが発表した「成長の限界」と、レーチェル・カーソンが書いた「沈黙の春」でした。

 これをはじめて呼んだときは息を呑む思いでした。
 しかしそのときはまだ、温室効果による地球温暖化ということは話題にも出てきません。 核戦争の危機や海洋汚染、資源の枯渇などは人々の意識に上っても、無限のものと思われていた大気が私たちの命を蝕(むしば)んでしまうなどということは、いかなる天才学者たちでも思いもつかなかったかもしれません。

 歴史を調べてみると、1824年、フランスの数学者フーリエが大気の温室効果という考えを発表しました。
 1859年には、イギリスのジョン・ティンダルが、いろいろなガラスが光をどのように吸収するかという測定器を発明しています。 そのときの結論として、酸素や窒素は赤外線を素通りさせてしまうのに対し、二酸化炭素やメタンはこれを透過させず、ちょうど温室のように地球の温度を上げるということを結論付けました。

 このティンダルの研究を受けて、1890年ごろにスエーデンの学者アレニウスが、二酸化炭素と地球の温度の関係を測定しました。 当時は今日のような科学的な測定器は望むべくもありませんでしたが、そのとき測定された推測結果は、今日の予測とほぼ同じだといいますから、アレニウスという学者の見識はすばらしいものです。

 しかし、実際に地球の温暖化ということが問題として浮かび上がってくるまでには、さらに70年の歳月を要しました。 1932年にすでに宮沢賢治が「グスコーブドリの伝記」の中で、二酸化炭素の増加による地球温暖化を予言していますし、当時すでにアルプス氷河の後退は現実に観測されていましたが、地球温暖化と二酸化炭素の相関関係はまだ明らかにされていなかったのです。

 地球温暖化と二酸化炭素のの増加との明確な相関関係を訴えたのは、NASAのハンセン博士です。
 ハンセンはもともとバン・アレン帯で有名なジェームズ・バン・アレンの指導の下で、金星の研究をしていました。 金星の温度は平均で500度近くあるといわれていますが、その原因が95%以上に及ぶ二酸化炭素の大気にあることを突き止め、そこから地球に起こるであろう気候の劇的変化の探求を開始しました。 そして1988年の夏、アメリカの上院の委員会において「二酸化炭素の増大による温暖化が地球上で起こっていることはもぼ間違いがない」という発表を行っています。

 このハンセンの発表こそが、世界中が正式に地球温暖化の問題を意識し始めたスタートだったと言ってよいと思います。 しかし世界はこの報告をすぐに信じ行動を開始したわけではありません。 ハンセンは批判の矢面に立たされ、それから20年以上にもわたって、この真贋(しんがん)論争が延々と繰り広げられてきたのです。



 氷河期と現在の温度差はいったい何度だろう?


 さて、二酸化炭素濃度が増えたおかげで地球が温暖化したといいますが、いったいどれ位増えたのか、感覚的に捕らえていただきたいと思います。

 およそ産業革命以前まで、大気中の二酸化炭素濃度は280ppmで、ほぼ固定されていました。 ppmというのは100万分の1ということですが、感覚的にtいうと、深さ1メートル湯を張った風呂の中で20センチまでが酸素の分量で、下から3〜4ミリが二酸化炭素の量になります。
 いかがでしょうか。 「なあんだ、心配していたけれど、二酸化炭素は意外と少ないじゃないか」と安心されたでしょうか。

 たしかに二酸化炭素は、大気全体から見たら、今もなおその量はたいしたことはないし、仮にそれが500ppmになったところで、全体から見たらなんということもありません。 しかし、ここにもう一つ物差しを当てはめてみると、ことはそれほど簡単ではないことがわかります。
 地球の大気の温度はこの何十万年の間、二酸化炭素の濃度とほぼ正比例して動いてきていますが、かつての氷河期はどうであったかを見てみると、いささかあわてることになります。

 氷河期というと、地球が氷に閉ざされていて、マンモスが吹雪の中でうなりをあげている様子をなんとなく思い浮かべますが、このときの二酸化炭素濃度は200ppmだと言われています。 では、氷河期の地球全体の平均気温は、今と比べてどれくらい低いと思われますか。 想像してみてください。 何人もの人に質問をしたところ、ほとんどの人が「20〜30度くらい低いのではないか」と答えました。 氷河期といえば、地球全体が氷に覆われているイメージがありますから、まさに感覚的には、それくらい低いと思われて当然です。

 しかし、実際はなんと、氷河期と現在の温度差は、たかだか4〜5度だというのです。 皮膚感覚としてはまったく違和感がありますが、それがまぎれもない地球の事実なのです。 IPCCの第四次報告書における今後の温度上昇予測が最大で6.4度ですから、いかにこの数字が恐ろしいものかわかるでしょう。

 この氷河期と、つい最近までの二酸化炭素量の差が80ppm、この数十年の間の二酸化炭素量の増加量が
80ppmであるとすると、氷河期から今日までと同じだけの地球規模の気候変動がおきることが容易に予測できます。 ましてやその二酸化炭素濃度が500ppmを超えるなどということは、地球規模で言えば、氷河期から今日まで以上の大変動が地球に起きる可能性が高いといえます。

 だからこそ、IPCCをはじめとした世界的機関は、声をからして世界に警鐘を鳴らし、
   二酸化炭素濃度が500ppm以上になったら地球は破滅すると訴えているのです。


 だからこそ、IPCCをはじめとした世界的機関は、

声をからして世界に警鐘を鳴らし、
   
二酸化炭素濃度が500ppm以上になったら

地球は破滅すると訴えているのです。



 近代文明と二酸化炭素の切っても切れない関係


 二酸化炭素の増加は、何ゆえにもたらされるのか。 これを、ひとことで言えば、人々の経済活動の拡大がその原因です。

 私たちは、肉体的にも二酸化炭素を日々吐き続けています。 人は1日のうちに呼吸することで約150グラムの二酸化炭素を吐き出すといわれています。 これは大自然の営みの中で見ると何の問題もありません。 森林や海が二酸化炭素を吸収し、地球のバランスは十分に保たれます。 しかし私たちの生活が富みを追求し始めた途端、自然の二酸化炭素吸収メカニズムをはるかに超えたレベルで二酸化炭素が吐き出されることになったのです。

 私たちは車に乗りますが、もし1日車に乗って30リットルのガソリンを使ったとすると、それは大気中の酸素と化合して80キロの二酸化炭素を空気中にばら撒いたことになります。 となると、移動に対して車を使うと、徒歩の場合に比べて、なんと600倍余計に二酸化炭素を多く排出していることになります。

 私達人類は、この高炭素社会を作ることを社会の進歩といい、また富の増大と考えてきたものですから、「これを減らせ」ということは、ある意味、世界から富みを減らせということを思考することになってしまいます。
 そうなると経済界は当然、猛反発することになります。

 テレビなどで「わが社は地球環境を守るためにこの商品を作っています」式のコマーシャルを良くみますが、よくよく聞いていると「というわけで、もっとわが社の製品を買ってよね」と言っているわけで「わが社の商品をできる限り買わないでおきましょう」などとは言いません。
 どんなに「もったいない運動」が起ころうと「節約しよう」と賢者が叫んでみたところで、自分の会社の売り上げが落ちることを願っている経営者はいないわけですし「わが国のGDPが下がりました」ということを本気で歓迎する政府など存在しないのです。
 そういうわけで地球温暖化における二酸化炭素を悪玉にする議論は、経済界から袋叩きにあうのです。


 図3を見ると、エネルギー消費が爆発的に伸びたのは1800年ごろからであるということがわかります。 産業革命以降と言い換えてもいいでしょうが、もっと絞ると、ジェームズ・ワットが蒸気機関車を発明した瞬間から大量のエネルギー消費時代が始まったと特定してもいいでしょう。

 厳密には、ワットが生きた時代はすでに産業革命は進行していましたし、蒸気機関車といっても、その原理はすでに存在していました。 しかしワットは、それまで生成された熱の1%しか動力に転換できなかった蒸気機関車を大改良して新たにワット式蒸気機関車を製造し、それがやがて蒸気機関車の出力を表す単位としてワットを生むまでに発展していきます。
 産業革命は大量生産、大量消費の幕を開けたと言われますが、ワットによる動力革命こそ歴史的な最大の発明であり、文明の発展に大きく寄与しながら、今日に至るあらゆるエネルギー創造のもとになっているのです。

 しかしさすがのワットも、19世紀初頭に亡くなるときには、人類がこれほどまでにエネルギーを消費するようになるとは、予想もしていなかったに違いありません。


 国民一人当たりの二酸化炭素排出量をみると


 エネルギー消費量の増加と文明の発達が不可分であるとすると、二酸化炭素の排出量が削減されるというのはいかに大変かと言うこともわかります。

 現在世界中で排出される二酸化炭素の総量は、265億トンといわれています。 そして、中国とアメリカがその4割を占めています。(図4)


 後で詳しく述べますが、この中国とアメリカが入っていない京都議定書がいかに地球の未来にとって効果の薄いものであるかがわかるというものです。

 日本は現在、ロシアとインドの間に位置しており、世界全体から似れば5%弱の二酸化炭素を排出していることになります。 これを見て、意外と多いと感じられるか少ないと感じられるかは蜜人の主観によりますが、もう一つ別の尺度を当てはめてみると、まったく違う風景が見えてきます。
 図4では、国別の一人当たりの二酸化炭素の排出量も並べて掲示されていますが、ここでも圧倒的に高いのはアメリカであり、インドの20倍、中国の6倍です。 日本はドイツと並び、アメリカの半分です。 したがって目をアメリカに向ければ「あなたたちもっと頑張りなさいよ」と言えるでしょうが、中国、インドに目を向けてみると、そうも言ってはいられません。

 中国はすでに現在アメリカを抜き、世界最大の二酸化炭素排出国になってしまいましたが、一人当たりで見ると今もなお日本の3分の1であり、インドにいたっては10分の1です。 となると、これらの国々から「お前たちはそんなに偉そうに言うが、一人当たりの排出量で見ると私たちはまだまだ少ない。我々のことをとやかく言う前に、まず自分たちが大幅に削減すべきではないか」といわれたら、返す言葉がありません。

 京都議定書においては、まさにこの議論がなされ、中国、インドは頭から条約締結など考えてもいず、それに便乗してアメリカも離脱するという状態でした。 かくいう日本はといえば、開催国でありながら、アメリカとヨーロッパの間で右往左往し、中途半端に1990年に比べて6%削減という目標を掲げさせられ、何のリーダーシップもとることなく、混乱の中で会議は終結したのです。

 日本のリーダーシップのなさは、いつの時代も変わらないのでしょうか。 安部前総理が唐突に「2005年までに温室ガス効果半減」を打ち出しましたが、世界はすでにその先を走っており、2007年バリのCOP13においても、ただただ日本の混迷振りが伝わってくる場仮でした。


 根本の問題は、世界人口の増加だった


 私たちが今なさねばならないのは、京都議定書における約束を守るということだけでは断じてありません。 なぜなら、その数値が達成されたとしても、世界的規模で見たら、地球の温暖化を止めることはできないからなのです。
 簡単な理屈なのですが、エネルギー消費の拡大は、計算上の公式によって成り立っています。
 この公式というのは、二酸化炭素の排出量はつまるところ世界の経済の規模とほぼ同等であって、経済の規模は「人口x一人当たりの経済活動」によって簡単に表せるというものです。

 世界の人口が一定に保たれているとするなら、一人当たりの経済活動を抑えていくことによってまだなんとかなるかもしれません。 しかし実際には、人口がめちゃくちゃ増えている今日に「倹約しましょう」だけではどうにもならないことは明白です。 私たちはそんな耳に心地よい環境スローガンを日々聞いているうちに、何とかなるのではと、どこかで安心してしまっては取り返しがつかないことになります。

 ここでもう一度、世界の人口がどのように爆発し、また今後どのように増え続けるのかじっくり考えて生きたいと思います。

 人類の誕生はいつごろのことか、実は今も論議されている問題ですが、いわゆるホモ・サピエンスの誕生は4万年前というのが定説となっているようです。 やがて4500年ほど前になって、人類はエジプトやメソポタミアなどの文明をもつようになりますが、そのときの人口が約1億人だと推定されています。 そしてキリストが生まれる前夜の人口は2億人になったと言われてます。

 まだこのときの世界人口は大きなものではありませんが、仮に1万年前の人口が100万人だったとすると、実はすでに人口爆発が古代に起こっていたとも言えるのです。 それは氷河期が終わり間氷期に入ったために、動植物が増え、また農耕などにより豊かな食料を人類が手にし始めたことが大きな理由だとされています。 そして人の寿命が延びたことによって、世の中に「おばあさん」が増え始め、乳児の死亡率が減り、人口が増えていったのではないかともいわれています。

 人口は次第に増えていき、やがて1900年に15億人に達します。 そしてその100年後の今世紀にはなんと4倍以上となり、現在67億人にまで到達してしまったのです。 これは言葉で言うよりも図5の急カーブを見たほうが、いかに今世紀の人口爆発が異常であるかということがよくわかります。

 今後も人口はさらに増え続けます。 世界的な統計によると、2050年には最低でも78億人、最大値は108億人になると推計されています。 と言うことは、今後の地球上に最低でもひとつの中国ができるということであり、最大ではさらにインドがもうひとつできる計算になります。


 人口は次第に増えていき、やがて1900年に15億人に達します。 そしてその100年後の今世紀にはなんと4倍以上となり、現在67億人にまで到達してしまったのです。 これは言葉で言うよりも図5の急カーブを見たほうが、いかに今世紀の人口爆発が異常であるかということがよくわかります。

 今後も人口はさらに増え続けます。 世界的な統計によると、2050年には最低でも78億人、最大値は108億人になると推計されています。 と言うことは、今後の地球上に最低でもひとつの中国ができるということであり、最大ではさらにインドがもうひとつできる計算になります。


 今後の気温変化予想から見えてくること


 日本では今、少子高齢化が問題になっていますが、世界的課題はやはり人口爆発なのです。 現在地球上では、毎年1億4000万人ずつ子どもが生まれ、6000万人が死んでいます。 差し引き毎年8000万人が増える勘定です。 つまり今日1日だけでも20万人が地球上で増えているのです。

 現在の人口を1とすると、50年後は1.5になります。 もし50年後の全世界が二酸化炭素の排出量を50%に抑えることを合意したとすると、一人当たりの換算においては、現在の基準から見て70%以上も二酸化炭素を減らさないといけない計算になります。 しかもそれができ、強い義務を負っているのは、私たち先進国であることは明白であり、日本が二酸化炭素の排出量を現在の20%、すなわち5分の1を目指さない限り、人類の生き残る道はないということになります。
 京都議定書において約束させられた6%カットができるかどうかなどという問題ではないのです。

 IPCCによると、今後の温暖化については、二酸化炭素の排出量によってかなり幅の広いシナリオが描かれています。 もし私たちが今のままに化石燃料を中心とした経済発展を進めていけば、今世紀末の気温は最大で
6.4度上がると予想しています。 それに対し私たちが省エネルギー技術を徹底して採用し、経済の無駄を省き、同時に化石燃料に頼らない新エネルギーを人類の英知を結集して開発したとすると、その上昇を2度までに抑えられる可能性があると報告しています。

 この報告を見て、慄然(りつぜん)とします。 というのは、先に述べたように、たかだか0.7度の温度上昇でもすでに世界中で温暖化の影響がかなり出てきているのです。 仮に温度上昇が2度であったとしたら、それは現在の3倍の変化を地球上にもたらすということを意味しています。
 ましてや6度というのは、まったく違う地球状況になることを意味してます。 いま、世界的なさまざまな努力にもかかわらず、残念ながらそのシナリオはかなり悪い方向性の中で推移しているのが現実です。


 地球温暖化の本当の影響とは?


 地球温暖化の影響に対しては、アル・ゴア元米副大統領の『不都合な真実』がかなり衝撃的なイメージ映像を発信したので、世界中が驚愕(きょうがく)しましたが、改めて地球温暖化が何をもたらすかを全体として述べておきたいと思います。

 『不都合な真実』の映画の中で、地球温暖化の影響によって世界的に氷河が消失してきていることや、北極の氷が溶けて白熊が絶滅する映像が人々の心を打ちましたが、生活実感としては、仮に氷河が消失しても、あまり関係ないかもしれません。
 地球温暖化の真の影響は、地球温度が1.5ど以上あがったときから本格的に出始めます。
 それは主に五つの現象を引き起こすといわれています。

 第一に、異常気象による被害です。 2005年の8月にアメリカを襲ったハリケーン、カトリーナは、ジャズの街ニューオリンズを水没させ、1700名以上の尊い命を奪うと同時に、3兆円に及ぶ経済的打撃を世界に与えました。 これはすべて温暖化が原因だとは言えないまでも、海水温は史上最高を記録し、それがある種のエネルギーとなってハリケーンの威力を増大させていることは確かでしょう。

 しかし、台風の発生数と温暖化の関係はまだはっきりとはわかっていません。 日本の記録を見ても、発生した台風がこの30年の間に増えたという確たる証拠はありません。 ただ2004年には史上最大個数の台風が日本を襲い、また台風ならずとも幾度も強烈な集中豪雨が各地で起こっています。 その発生数は変わらずとも、一つ一つに貯蔵されたエネルギーは相対的に大きくなっていて、今後もこの台風やハリケーン、サイクロンといった熱帯性低気圧が人類に甚大な被害をもたらすと予測されます。

 第二に、生物種の絶滅です。 世界中の珊瑚(さんご)が海水温の上昇によって白化現象をお越し、絶滅の危機に瀕(ひん)しています。 日本では1年で5キロメートルの距離で機構が亜熱帯化しています。
 おそらくあと30年もしないうちに西日本のブナ林は消滅していくでしょうし、日本アルプスで見られる雷鳥もその姿を消すでしょう。 機構が変われば、それにあわせて動植物も移動するという意見もありますが、残念ながら動植物の気候への適応スピードは、現実にまったく追いついていけません。


 もしも南極の氷が溶けたら世界はどうなるか?


 第三に、温度上昇による年の水没と津波の恐怖です。 北極の氷が溶けたら地球は水浸しになるなどとよく言われますが、実際には、水の浮いている氷の原理として、北極のすべての氷が溶けたとしても、水位は全く上がりません。 問題は南極の氷です。
 南極大陸の面積は日本の40倍もあり、大陸全体が氷で覆われています。 その氷の厚さは平均して2500メートル、最大では4500メートルにも達します。 南極はヒマラヤのような山に雪が積もっているのではなく、巨大な氷の山そのものなのです。 その氷の80%以上は海面より上にあり、これが溶け出すと大変なことになります。 南極にある大きな氷床が流れ出したということがよくニュースになりますが、もし南極の氷がすべて溶け出したとすると、世界中の海面はなんと7メートルも上昇するという計算になります。 「そんな馬鹿な」と思われるかもしれませんが、実際にはるか昔、地球が今よりももっと温暖だったころの海面が今よりも7メートルほど高かったということからも、信憑性(しんぴょうせい)が高いように思います。 

 学者の中には「今もなお南極の中心部は温度が下がっており、南極の氷が溶ける心配をする必要はない」という説を述べる人もいます。 しかし実際に北極圏において明らかに氷床面積が縮小し、あと20年ほどで夏場の北極圏から一片の氷もなくなるという予測がされる中、南極だけが氷に閉ざされたままだと考えるほうが、非合理的ではないでしょうか。
 モルジブやフィジーなど南洋の島国は今や消滅の機器に瀕していますが、もちろん南洋の島国だけが水没するわけではありません。 そのときは世界中が水没するのです。 
 『不都合な真実』の中でも象徴的にグラフィック映像が映し出されていましたが、東京も中億区や江東区をはじめ、かなりの部分が水没します。 東京中央区の月島は「もんじゃ焼き」で観光名所のひとつになっていますが、埋め立て地であるこの地区は当然水没する可能性が高いわけです。 東京の台所・築地市場が移転を決定している豊洲なども、真っ先に海中に没することになります。

 しかしそれでも、もしこの水位上昇がゆっくりくるなら、まだ何とかなるでしょう。 問題なのは南極の氷が一度に崩壊して崩れ落ちたときのことです。

 人が勢いよく風呂に飛び込んだらお湯がパーと湯船からこぼれ落ちるように、もし南極の巨大氷床が一時に海中に滑り落ちたら、それらは津波となって各国を襲う可能性があります。 世界各国の沿岸部には巨大なコンビナートが林立し、また原子力発電所も海岸線に沿って建設されています。 もしそれらが、巨大津波に襲われたら、もはや人類は即アウトでしょう。 奥尻島の地震による津波は時速200キロメートルのスピードで街を飲み込んだといいますが、もし世界同時津波が発生したら、胸で十字を切るか、念仏を唱え神や仏に祈るより仕方がないのかもしれません。 

 あまりSFチックに人々の恐怖心を煽る(あおる)ようなことは厳に慎まなければなりませんが、科学的にはその可能性を排除することは出来ないのです。 そしてその崩落の瞬間を科学的に予測することは不可能なのです。 たとえは悪いのですが、それはエジプトのスフィンクスの首のようなものです。 スフィンクスは「顔は人間、体はライオン」の巨大石造物ですが、もしこのまま何の手も打たなければ、50年以内に間違いなく首は落下すると言われています。 そしてその瞬間は、いかなる科学の英知を結集してもわからないのです。


 異常に低い日本の食糧自給率


 第四に、海水温の上昇による海流の停止、そしてそれに伴う気候の劇的変化です。  このあたりのメカニズムはよくわかりませんが、海水温が上がることで海流の流れが止まり、温暖化とは反対に地球が急激に冷え込み、人為的な氷河期が訪れるといいます。

 第五に、環境の変化による食糧問題の発生と同時に、食料をめぐっての戦争の勃発。 当たり前のことですが、気温が変わると今までとれていた食物がとれなくなります。 日本においても、西日本ではやがて米の生産が不可能になるといわれています。

 地球環境問題を突き詰めていくと、エネルギーと食料の問題に行きつきます。 ただでさえ、人口爆発により食料は決定的に不足してきているところに、地球環境の変化によって今までの作物が取れなくなってきています。 日本が亜熱帯になれば「亜熱帯の食物を生産すればいいではないか」という意見もありますが、気温以外にも食物が育つにはさまざまな条件があり、そう簡単に生産食物の種類を変えることは困難です。


 あえて言うまでもありませんが、日本の食糧自給率は驚くほど低いのです。(図6) さらに主食となる穀物だけ見てみると(図7)、もう笑うしかないと言うか、もしかしたら日本国政府は、見かけ上は食料自給率がどんなに低かろうと、そしてどんな時代になろうと世界中から十分な食料を調達する秘策を持っているのかもしれないと思えるほど、異常に低いことがわかります。

 図8に見るように、日本は世界でも最大級の食糧輸入国であり、その総額は年間で360億ドルにも達します。 世界でも極端に食料自給率が低く、それは1960年代から一貫して続いている流れです。 その原因は日本人の食生活が変化したことが最も大きいのですが、図9のとおり、日本の食卓がアメリカと中国のどっぷりつかっているのを見ても、わが国がいかに脆弱(ぜいじゃく)な食料基盤の上で生活しているかが理解できます。

 食糧の輸入は経済的合理性に一致しているのかもしれませんが、これだけ自給率を落としてしまったら、いざというときに元に戻れないのです。 
 毒入りギョーザで日本がいくら大さわぎしても、中国からの食料輸入を完全にストップすることは不可能なのです。

    さらに日本の最大の問題点は、

         こういう極端に低い食料自給率であるにもかかわらず、

                年間1200万トンも食料を捨てていることです。


 世界で10億人の人々が今もなお満足な食料がなく飢えて栄養失調で苦しんでいるというのに、食料供給量の4分の1をごみにして捨てているのですから、それだけでもわが国は天罰を蒙ってもおかしくない状況でしょう。
 この先必ず地球温暖化により食料が今よりも急激に足りなくなります。 そして日本がかつてほど世界の工場として外貨を稼げなくなったとき、我々は今までの愚かさに気づくかもしれません。 なぜ政治家はこの問題に真剣に取り組まないのか不思議でなりません。


 このままいくと、地球は確実に破壊する


 地球温暖化の問題は、このようにどれ一つをとってみても、全人類の生死にかかわる問題であり、単に2度大気の温度が上がった、4度上がったという皮膚感覚の変化のことを指しているのではありません。
 地球の自然のメカニズムの中で、二酸化炭素の排出量と酸素の排出量のバランスが崩れることが最大の問題なのです。
 排出される二酸化炭素を酸素に変える大自然のメカニズムによって我々は生命を維持しているのですが、その維持装置ともいえる森林が、急速に失われてきています。

 地球は、その誕生時から大気中に酸素が存在していたわけではありません。 はじめは地球も金星と同じく、大気の98%が二酸化炭素だったと言われています。 そのうち海中の植物性プランクトンなどによって酸素が吐き出され、今から4億年ほど前に生物が陸に上がり、現在のように酸素が大気中の21%の濃度になって均衡したのです。
 大気中に酸素が増えると、それが太陽光線にぶつかってオゾン層を生成します。 そのオゾン層によって生命が太陽光線から守られて、生命が陸地に上がることができたことは意外に知られていません。

 簡単に言うと、地球の歴史46億年の中で、10臆年を過ぎたころに初めて生まれたとされる生命は、その後30億年以上もの間、海の中のみで生息していました。 そしてオゾン層ができた4億年ほど前から、紫外線の被害によって細胞が死滅する心配がなくなったため、陸上生活が可能になったのです。 海から上がってきた植物はやがて陸上を覆い、二酸化炭素を酸素に変える、いわば地球の肺のような役割を果たすようになったのです。

 ブラジルのアマゾンは上空から見ると延々と森林が続き、まさに「森の海」といった光景です。 そしてすべて森林に覆われた中をアマゾン川が滔滔と(とうとうと)流れる光景はまさに地球の肺とでも言うべき光景です。
 大気中の二酸化炭素は主に森林と海によって酸素に還元されますが、森林は地球の肺としての機能と合わせて、水を生み、土を作り、生命を養う機能を果たしています。
 それが今、急速に失われてきているのです。


 木材大量輸入国としての日本には大きな責任がある


 当たり前のことですが、陸地はどんなに広く見えても有限です。 そして木が生長するスピードよりも木が切られるスピードのほうが速ければ、やがて地上から一本の木もなくなってしまうことは、誰にでもわかる道理です。

 アマゾンの熱帯雨林は地球の酸素の3分の1を供給していると言われていますが、この30年の間に毎年四国と同じくらいの面積の森林が消失しています。 このままではあと40年くらいでアマゾンの森林は消滅することになります。
 世界的に見ても同様です。 かつて地表の17%を覆っていた熱帯雨林は、現在5.5%になってしまいました。 今もなお、毎年日本の本州の半分ほどの面積の熱帯雨林が消滅しています。 世界的には懸命な植林活動も行われていますが、どんなに楽観的に見積もっても、あと90年ほどで地球上から森林は消滅するという結果が出ています。 もっと速いシナリオでは、あと30年ですべての森林が地球上からなくなってしまうという予測もされています。 もちろんこれまでにも、植林に対するさまざまな活動が世界的に展開されてきましたが、残念ながら地球全体としては、森林は確実に、かつ急速に減りつつあるというのが現実です。

 しかも、その悪しき主役が日本であるということに心が痛みます。どういうことかというと、1999年以降の木材輸入に関しては中国に1位の座を譲ったものの、それまでの日本は、世界最大の木材輸入国だったのです。
 日本における熱帯木材の輸入は、1950年代フィリピンから始まりました。 ちょうど日本が高度経済成長をしている1960年代の後半にフィリピンの森林は日本への輸出によって急速に失われ、1986年、フィリピン政府は木材の輸出を全面的に停止しました。 その後日本が目をつけたのはインドネシアでしたが、同じようにだめになると、今度はマレーシアに狙いを定め、そのマレーシアの森林が枯渇し始めた現在、パプアニューギニアに目を向け始めたのです。 

 さながら過去に日本が犯した過ちと同じことが形を変えて行われているのです。 携わるのは仲立ちをする商社や輸入業者ですが、日本政府も経済発展のためという大義名分を掲げ後押しをし、南方諸国を攻略するがごとき姿勢です。

 私たちは今、熱帯雨林の減少を問題にしていますが、その多くの責任がわが国日本にあることを認識し、肝に銘じたならばすばやく保護すべき行動を起こさなければ、世界中から問題視されることでしょう。


 人類はこれからどういう考え方で生きればいいのか?


 そろそろこの章のまとめに入りましょう。
 我々が今、確認しておかなければならないことは、以下の八つになります。

@ 地球は今、自然現象とまったく違うメカニズムで温暖化していること

A その原因が化石燃料の消費による二酸化炭素ならびにマタンなどの温室効果ガスであること

B それが起こった原因は、今世紀の人口の爆発的な増加と経済的な富の追求であること

C そして地球に酸素を供給し姓名をはぐくむ森林が、急速に失われてきていること

D その結果、地球上では大きな変化が起き、氷河の消滅、海面上昇による陸地の水没、津波の危機とそれに伴う世界的災害の発生、人類死滅の危機が起こる可能性が高くなっていること

E 少なくとも、備讃か炭素の排出量を2050年までに半減しない限り、人類に未来はないこと

F それを解決するための行動は、現在までのところ有意義な結果をもたらしていないこと

G 以上のことが、この20〜30年という短期間の間にもたらされる危機であること


 これが事実なのです。 とすると、もし合理的かつ理性的に考えるならば、私たちがしなければならないことは一つです。 それはいかなる政策ビジョンのも先駆けて、人類が生き残るための行動を、どんな困難があろうとも今すぐ掲げ、スタートすることです。

 日本には、希望にいたる思想や技術が十分にあるはずですが、残念なことに国家として指導者の意識のなさや、意志の脆弱(ぜいじゃく)さにより、いまだ埋もれたままです。
 日本の国家としての意志は、まったくなく、世界の環境会議においてもいつも右往左往するばかりです。

 タイタニックは今沈みつつあるのに、なぜそこに対して全力を尽くそうとしないのか。 指導者である政治家は「我々は全力を尽くしている」というかもしれませんが、現在のレベルでこのまま行って、人類の未来に安心していられると責任を持っていえるのでしょうか。 少なくともこのままの方向では、人類は死滅するか、多大な犠牲を払わなくてはならないでしょう。 日本は環境門と合わせて、食料とえねるぎーの他国依存の高さから見ても、最も強く犠牲を強いられることになるのです。

 わが国にはバブルがはじけたとはいえ、今なお巨大な資本と高度な環境技術が存在しています。 それを生かせるのはこの10年までのことであり、それを過ぎれば、日本は世界中で何の役にも立てなくなる可能性があります。
 いま地球で起こっている問題を見つめてみると、それは単に一国家が解決できるものではなく、おそらく文明上の転換を要求されることになると思っています。

 かつてマルクスは「狩猟社会からスタートした人類は、農耕社会、工業社会を経て資本主義社会を形成し、その行き着く果ての帝国主義の矛盾からプロレタリア革命が起き、未来永劫(みらいえいごう)人類楽土としての共産主義社会ができる」と考えました。 それに先立つアダム・スミスは、人類を自由に経済活動させると「神の手」が働いて人々はもっと豊かになると考えました。 20世紀は共産主義が誕生し、そして破綻した世紀でしたが、かといって自由主義が勝利したわけではありません。
 資本主義にせよ、共産主義にせよ「いかに人類が激しく経済活動をしたとしても資源は無限であり、もたち旧はいくらでも経済活動の膿(うみ)を吸収浄化してくれる」ということが前提条件にあったのです。 しかし、その前提が崩れてしまった以上、私たちは、共産主義でも資本主義でもない、ある種の「地球共生主義」に立たない限り、生存が許されないのです。

 資本主義の拡大成長路線を踏襲しつつ、どんなに節約を呼びかけてみても、それはまさに焼け石に水でしょう。 私たちがしなければならないのは、まさにそんな過去の文明との決別と地球共生社会への挑戦でしょう。







未来の子どもたちに

美しい環境、優しい、安全な地球を残し

伝え続けるために・・・


大切なのは

現状に「
気づく」 状況を「理解し」 対策を「考え

ビジョンを「
掲げ」  そして「動く」こと




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